2016.06.27 Mon 雑喉場魚市場跡
大阪市顕彰史跡第22号
(西区江之子島4)

江之子島公園に顕彰碑!

雑喉場魚市場跡(ざこばうおいちばあと)
小魚(雑魚)などの大衆魚を扱う魚市場の事を雑喉場と呼び、江戸時代から昭和初期まで大阪市内に点在したそうです。中でもこの場所にあった雑喉場魚市場は、大坂三大市場の一つに数えられるほど活況で昭和6年(1931)大阪市中央卸売市場が開設されるまでその地位を保ったそうです。
(西区江之子島4)

江之子島公園に顕彰碑!

雑喉場魚市場跡(ざこばうおいちばあと)
小魚(雑魚)などの大衆魚を扱う魚市場の事を雑喉場と呼び、江戸時代から昭和初期まで大阪市内に点在したそうです。中でもこの場所にあった雑喉場魚市場は、大坂三大市場の一つに数えられるほど活況で昭和6年(1931)大阪市中央卸売市場が開設されるまでその地位を保ったそうです。
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2016.06.26 Sun 雑喉場橋之碑
雑喉場橋の顕彰碑
(西区)

親柱は大正11年改築時のもの。その上の照明灯は復元されたもの。

雑喉場橋之碑(ざこばばしのひ)
かつてこの辺り流れていた百間堀川(ひゃっけんぼりがわ)に架かっていた雑喉場橋。明治7年(1874)江之子島に2代目大阪府庁舎が建設された翌年、大阪で5番目の鉄橋として下之橋があったほぼ同じ位置に雑喉場橋が架けられます。
その後2度改築され昭和39年(1964)百間堀川の埋立てと共に、雑喉場橋も姿を消しました。
(西区)

親柱は大正11年改築時のもの。その上の照明灯は復元されたもの。

雑喉場橋之碑(ざこばばしのひ)
かつてこの辺り流れていた百間堀川(ひゃっけんぼりがわ)に架かっていた雑喉場橋。明治7年(1874)江之子島に2代目大阪府庁舎が建設された翌年、大阪で5番目の鉄橋として下之橋があったほぼ同じ位置に雑喉場橋が架けられます。
その後2度改築され昭和39年(1964)百間堀川の埋立てと共に、雑喉場橋も姿を消しました。
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